昭和56年04月26日 朝の御理解



 御理解 第88節
 「昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。」

 昨日は、幹部研修会で、皆さんの話を聞かせて頂いたんですが。梅の実会の幹部の方達又は竹葉会の幹部の方達、美登里会の幹部の方達と、同じ婦人会でも、その年齢による日頃信心の稽古をしておる、方達の信心を聞かせて頂いたんですけれども。はっきりこの一つの段階というものが、感じられるような研修でした。もう本当に一人一人の発表の、話が上手だという意味じゃなくて、信心内容の素晴らしいのに驚きました。
 いつもの事ですけれどもまぁ本当に、信心の稽古をしておる者達の集いというのは、素晴らしいと思いますね。ただこんなおかげを頂いたという、おかげ話に留まらない。いわゆる信心の愈々奥峨へ奥峨へと、こう信心を進めて行かれる。それがもう素晴らしいみんな話ですけれども、その信心の段階というものが、はっきりしておる。まぁ八十八節の御理解を頂く時に、何時も頂きますように八十八節です。
 いわゆる広がりに広がって行くと言う事は、一足飛びではないなと言う事ですね。もう本当にお互いの信心がどうでしょうか、一年一年まぁいうならば垢抜けして行くというか、深さ広さに触れて行くというか。私は一人一人のお話を聞きながらもう本当に名人、達人の人達の話を聞いておるような気がしたというて、話したことでしたけれどもね。もう一段一段やっぱり信心が進められて行かなければなりません。
 勿論一貫しておるものは合楽理念です。合楽理念に基づく信心。そして心の助かりそれに伴う所のおかげというものが、感じられるお話ばかりでした。そして信心を極めて行くと言う事は本当に、限りがないものであると言う事を感じますが、何ていうでしょうか、もう、美登里会の方達のお話に至ると、もう信心がもう有難うして楽しゅうてという、この気張ったものが全然、ないと言う事ですね。信心生活が本当に楽しい有難いもの。もう愈々、合楽理念の実験実証が、楽しゅうなってきたと。
 その楽しゅうなってくる前提としての信心。まぁいうならその調子で行くならば、達人をいうなら目指しておられる、若い婦人の層の方達の話。確かに合楽は信心を進めて行こうとするならば、もう何処までも進めていけれる手立てが何時もあると言う事。ね。どうでもここん所をいわば広がりに広がって行く。ここでお終いここで行き詰りと言った様なものではない。信心そして信心の徳を、愈々身につけてそれが、本当に子にも孫にも伝わって行くものにして行かなきゃならない。
 ここに至るともうお徳の世界ですから、あの世にも持って行け、この世にも残しておけるという信心を、ね。だから結局目指させて頂くと言う所が間違いがない。どんなに気張りましても焦点が間違うておったら、昨日のようなお話になってこないと思う。合楽の場合は、それこそ心は信心の定規と言われる、その定規を何時も合楽理念に基づく生き方。合楽理念に基づいての、自分の信心の確かさというものを頂きながら、信心のお育てを頂いておられる。
 その間違いのない段階段階を追うて、信心を進めておられるのを聞かせて頂いて思う事は、こらもう合楽、私はある先生方が見えた時に、初代の時には大変ゴヒレイを頂いて、けれども二代三代ともなると、段々信者も減り無くなって行くし教会のゴヒレイも落ちて行く。これがまぁ例である。けれども合楽の先生あなたは、どういう風にその事を感じられますかという質問に対して、私は申しました事でしたけれども。こりゃ私も死んでみなければわからん事だけれどもね。
 まぁ合楽でいう合楽理念がある限り、いわば親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代と、いうなら今日の御理解で言う広がりに広がる働きが起こってくると、私は確信しておると言うて、答えた事でございますけれども。昨日の梅の実会、そして昨日はみんなそれが、揃うておられました。梅の実会のいうなら幹部と思われるような、熱心な信心をなさる方。それから竹葉会それから、美登里会と言う様に、こういう風に段階を追うて、こう一つの間違いのないいわば。
 信心の進め方というものが、はっきりその発表の一人一人から、聞き取る事が出来る。だからこの調子なんだなと。合楽のゴヒレイというものは、それは何処までも合楽理念に基づく、いうならば日常生活。ですからどうでも合楽理念に基づく生き方というものを、商売なら商売の上にでも、商売のいうなら流儀というもの、ね。全ての点にこういう流儀というものを作っておくと、その流儀がそのまま子にも孫にも伝わって行く。ただ一生懸命参りなさい。一生懸命熱心に信心しなさいばかりではいけない。
 そこに合楽理念に基づく、一つのご流儀というものを、自分そして自分の家に一つの、まぁ家の格というか家の風というかね。そういうものがしみ込んで行く限り、私はお父さんや、お母さんやらの時には、熱心に信心しておかげ頂いたけれども、子供孫になったら、もう影も形もなくなったという例が沢山あるんです。もうそればかりと言うても良いぐらいなんです。けども合楽の場合は私は合楽理念がある限り、いうなら昨日の研修会に感じたような段階を追うて信心は。
 愈々進めていけれる手立てが、合楽理念に説いてあるのですから。しかもこの御理解八十八節にあるように、いうなら教えの鏡を立てて、悪い顔をせんでええというても、悪い顔ではない何時も有難い、にこやかにしておれれる道、まぁこの御理解で家を治めよという、治めるという字がさんずい辺に、ム口とあるいうなら、大地の信心というか黙って例えば、治めるというその生き方だけでも。
 これを家の信心のまぁいうなら、家風のようなものに残しておくならば、ね。言うなら私は合楽の場合は、教祖が仰る通りの祈り代まさり、一年まさり代まさりのおかげが頂けるなと言った様な事を、昨日のはっきりしておる、その世代世代の方達の信心の内容を聞かせて貰って、感じさせて貰い。大変有難いいわゆる、力強いものを感じさせて貰いました。
   どうぞ。